この冬休み、実家に帰った折に、30年近く物置に保管していたダンボール箱を持ち帰った。中には私が子供の頃読んでいた本がぎっしり詰まっている。娘達が小学生になり、字が読めるようになったので、子供たちに読書を勧めようと思う。
私は小学生の頃、本を読むのが大好きだった。毎月1冊親に本を買ってもらっていたが、その日が待ち遠しくて、デパートの書籍売り場でウキウキしながら本を選んでいたことが思い出される。今でも子供の頃に読んだ本の記憶がはっきりある。本を通していろいろなことに興味を持ちたくさんの大切なことも知った。想像力をふくらませ、ドキドキワクワクしながら読んだ日のことを思い出す。
持ち帰ったダンボールを開けて、なつかしい本と再会した。真っ先に出てきたのは私の最も好きだった童話の「小さなスプーンおばさん」だ。当時、この本を読んで、「著者のアルフ・プリョイセンってどんな人かな?彼に会ってみたい」と思い、好奇心旺盛な私は彼の住んでいるノルウェーという国に興味を持って調べた。一冊の本をきっかけに世界の地理にも興味を持つようになった。
その他にも伝記、神話、昔話、童話、科学に関する本が次々に出てきた。伝記や神話を通して子供ながらに生き方や教訓を学び、昔話を通して地理や歴史に興味を持つきっかけになった。童話はイマジネーション(想像力)を豊かにしてくれた。「からだの秘密」や「植物の秘密」、「宇宙の秘密」などの科学の本を通して、私たちの身近には不思議なものが満ちていると感じたし、そういった類の秘密シリーズは未知の世界を知る喜びもあり、とても興味深かった。
本はいろいろなことを教えてくれる。“書かれたもの”を“読む”ということを通して私たちは様々な知識を得ることができる。
今、私たちが本を読むことができて、それを通していろいろなことを知ることができるのも、「書く」「読む」能力がアッラーから与えられているからである。ありがたいことである。アルハムドリッラー。
「読め!」。預言者ムハンマド(S)に最初に下された啓示はこの言葉からだった。そのときのことについてハディースではありありと書かれている。
預言者40歳の頃、メッカ郊外のヌール山頂のヒラーの洞窟で瞑想していると、何者か(実は天使ジブリール〔ガブリエル〕)が現われて彼を押さえつけ、「読め!」と命じた。預言者は文盲で字を読めなかったので「私は読めません」と言った。すると何者かはまた彼を押さえつけ、再び「読め!」と命じた。預言者は「私は読めません」と繰り返した。何者かは更に彼を押さえつけ、「読め!」と三度繰り返した後、次の啓示を示し、預言者は復唱した。それが、クルアーンの凝血章(96章)の1〜5節である。「イクラ ビスミ ラッビカ ラズィー ハラク(読め!創造なされる御方、あなたの主の御名において)・・・」このようにして最初の啓示が下った。
そもそも「クルアーン」とはアラビア語で「読まれるもの」という意味がある。「クルアーンは手に触れるのも恐れ多いので棚の一番高い所にしまってあってめったに読まない」というムスリムがいたが、まさにクルアーンは“読むもの”なのだ。クルアーンに敬意を払い、一番高い所におくという精神はよいが、クルアーンを大事にするというのは飾り物のようにしまっておくことではなく、毎日毎日手にとって読むことなのだ。
凝血章4-5節に「筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である」とあるように、アッラーは私たちに書くことを教えられた。つまりその能力が与えられた。そしてまた、私たちはアッラーから知識を与えられた。
私たちは書物を通して様々な知識を得ることができる。口伝では伝言ゲームのように時が経つにつれてもともとの言葉が失われたり変化したりするが、書き残すことによって原文を正しく伝え知ることができる。
ハディースには「誰々の伝承による」と冒頭にかかれており、初めて読んだときはうるさく感じ、しつこいまでに繰り返して出てくる伝承経路にいったい何の意味があるのだろう?と疑問に感じていたが、それも重要な意味があるのだ。伝承経路の鎖(サナド)を大切に記すのもこのハディースが後世の人によって都合のよいように書き換えられたりすることのないよう、またもとの言葉のままに伝えていることの証にもなる。
ありがたいことにクルアーンは何世紀たっても啓示されたときのまま読むことができるのだ。
イスラームでは「知識」を求めることをとても大切にしている。「書く」「読む」というアッラーから私たち人間に与えられた能力であり特権を大いに活かし、知識を深めていこう。
子供たちにも読み書きの大切さを伝え、“読む”ことを大事にしてもらいたい。

