ここでの記録の意味は、アッラー以外の全てのものにそれぞれ運命があって、創造されたときからそのものに起こった、又は、起こる全てのことを全知全能の唯一なる神アッラーが御存知であることなのだ。それで人間のしている全てのことも、話している全てのことも、又心の中に思い浮かべたり考えたりしている全てのことも全知全能の唯一成る神アッラーは御存知である。そしてアッラーは忘れることはない。だから、全ての人間が行った良いことも悪いことも記録されていて、それらは裁判なさられるのだ。
実はこの記録性は科学的に完全に証明できないことで、全知全能の唯一成る神アッラーが全てを記録し、それらはみなアッラーに裁判されるということを認識して、心の中でその記録性を感じる人にしか身近に感じられないわけだ。だが、科学的にいくつかの例を挙げると分かりやすいのでその方針でいこう。
上述したように宇宙内の精密にとられた調和話を思い出して頂けると理解できるように宇宙内の全ての星・惑星・星雲が毎秒どの方向にどれぐらいのスピードで進むかを詳しく御存知な(そうでなければ、宇宙内のこんなに精密な調整・規律・統轄は成立しない)知全能の唯一成るアッラーの存在の元に宇宙全ての状況は宇宙から創造される以前から細かく計算がされている。
また前述したように一種の中に一本の樹木が持っている全ての性質や特徴が記録されていることは全世界の樹木にそれなりの運命があるということだ。
潜在意識
私達の頭脳の記憶は通常思い浮かべると比較的に数少ない知識とは限らない。既に忘れていると思っている色々な思い出・見たもの・詳しい状況が頭脳の中にインプットされて、それが外部の刺激によって誘導されてくる。それを滞在意識という。そして滞在意識に記録されている知識の方は現状認識よりずっと多いのだ。滞在意識は人間の行為や性格にも大きな影響を及ぼすものである。
唯物論者の哲学者や科学者は滞在意識が存在する本物の理由を調べずに物質的にだけ説明したのだ。だが、滞在意識と言うことが本当に来世や運命と関連性が高いのだ。そしてその関連性は人間が生まれてから死ぬまでしていた全てのこと何かはどこかに記録されるはずがないという意見が間違っている証拠でもある。それに加えて、私達は滞在意識というのは人間が心に思い浮かべたこともみな記録されているのを垣間見ることができるのではないかとも信じている。
人間の会話は全て波として保存されている
音も光と同様に科学的に波で表せる。音の大きさ、高さとかも波の性質に応じて説明できるのだ。声も一種の音なのだからその性質もみな波で表せる。それで、人間が話しているときの声が宇宙内では波を作るという。科学的にその波というものはその場から離れるけれども、なくなることがないと証明された。
つまり、現代科学では、全ての人間が話したことも話していることも全て宇宙のどこかに波として隠されていることが分かったのだ。それも何らかの法則が成立するものと推理され、その謎が解けると正確な時刻とx,y,z座標(子午線・緯度など)を指定してそこでの会話を再生するのも理論的に不可能ではない。要するに、現在の技術ではまだできないが、その隠された声をある特定の場所に戻して聞くことの仕組みが開発されると、いつ・どこで・誰が・何語で何を話したかを確証するのも可能だと分かった。このやり方は全知全能の唯一成る神アッラーに知られていないはずがない。
また、被造物の一種に過ぎない人間がそれだけのことができるようになる可能性があることは全知全能の唯一成る神アッラーは人間の心の全てや思い浮かべたりすることまでも、御存知になっていらっしゃるのは無理がない話である。
そして、もしも来世が存在していないというのであれば、何故全ての音が記録されているかというのが解決されようがない大きな疑問となるのではないか。自然界に無謬の法則があって無駄遣いがないのだからだ。よって、「私達が話していることも全ても来世に全知全能の唯一成る神アッラーに聞かれるに違いない」というのは科学的ではないとはもっての他だ。
「会話する場合のことはわかったが、会話せずになす行為はどういうふうに説明できるのか」という疑問に対しても科学は答えているのだ。全ての被造物が起こしている行為の特徴は熱の波で表されるのだ。このことがある程度できる機械が製造されたのだ。この機会は“EVAPORAGRAPH”という。現在その機会の性能が改善されているのだ。
そしてこのことについて一人の科学者は、“私たちはこの機械の性能を改善して歴史を画面に映してみることはできると信じている”と発言したそうである。なので、将来この分野でも大きな発見がされて日常生活に大きな影響を及ぼす可能性が高いのだ。まるで人間が宇宙といわれる大きなビデオカメラ前にいるようなことなのだ。皆それぞれの宇宙という大きなビデオカメラの前で人生というシネリオを作っているかのようだ。
あるシナリオをもって作られた映画は、後から見ることができると同様に来世の全知全能の唯一成るアッラーはそれぞれの人間の人生をその人にみせて、間違っている点について、いちいち裁判をするのだ。(慈悲遍くお方アッラーはその間違っている点をお許しになる場合を除いて)人間の後からの後悔は役に立たない。

