イスラームの生き方

 

 イスラームにおける自殺

 

イスラームの教えにおいて、私たちの身体は個人の所有物ではなく、アッラーからの預かり物である。自分自身を殺すことは、預かっているものに対する裏切りを意味する。これゆえイスラームでは、自殺だけでなく、体の一部分を切ったり、害を与えたりすることも許されていない。イスラームは自殺を完全に禁止しており、この禁止はクルアーンの「またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない」(婦人章29節)によって伝えられている。またクルアーンでは、一人の人間を殺すことは全人類を殺すのと同じであると表現され(食卓章32節)、殺人に対する態度を明確に示している。


預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)も、自殺に関して重要な説明をしている。ハディースでは、戦争で負った傷の苦しみに耐えられずに自殺をしたクズマンという男は地獄の一員だと述べられている(ブハーリー:聖戦77、戦争章38)。他のハディースでも、自殺をした者は、何を使ってどのように自殺しようと、地獄においてひたすら罰を与えられ永遠に拘留されるとされている(ブハーリー:治療56)。


また、預言者(彼の上に祝福と平安あれ)ご自身も、自殺をした者の葬儀の礼拝を行わなかったといわれる(ムスリム:葬儀の書107)。


預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、過去に存在した民族の中で自殺した者に関しても、次のように示している。「昔の民族に属していたある者には悩みがあった。彼は苦しみに耐えられず、手首をナイフで切り、出血で死んだらしい。これに関してアッラーは『彼は我のもとに来るのを急いだが、我は彼に天国を禁じた』とおっしゃった」(ブハーリー:預言者達)。このハディースからも、預言者(彼の上に祝福と平安あれ)の自殺への見解がうかがえる。


ハナフィー派における重要なイマームの一人、アブー・ユースフは、上記のような預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が自殺者に葬儀の礼拝をしなかった事に従い、自殺した者には葬儀の礼拝を行わないようにとファトワ(イスラーム法学上の勧告)を出した。しかしアブー・ハニーファや他の宗教学者たちは自殺者にも葬儀の礼拝を行うと言ったといわれる。しかし、預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、ご自身で礼拝を行わなかっただけでなく、サハーバ(教友)達にも禁止された。アブー・ハニーファや他の者たちの考え方は、自殺をした者の近親者を慰めるためであった。

 

親族が自殺者として地獄でひたすら罰を与えられると考えることは、とても辛いことである。葬儀の礼拝はドゥアーであり、死者を少しでも助け、もしかしたら救うきっかけになるかもしれない。それに、預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が葬儀の礼拝に参加しなかった死者には、我々は知ることのできないが彼(預言者)(彼の上に祝福と平安あれ)のみが知る事情があるのだろう。また、(葬儀の礼拝を行った)宗教学者達は、普通の状態では人が自殺しないこと、こんなことをするのは精神錯乱した、何かショックな理由によるのだという事も考えたはずである。


事実、今日の脳の研究では、体内の化学的バランスが様々な影響によって崩れること、そのため脳や神経に現われる故障が精神錯乱や自殺願望を引き起こすことが分かっている。乗り越えられないようなストレスにさらされたり、強烈な愛や恐怖のような状態に陥ること―試験に受かろうと集中したのに出来なかった時、または強い攻撃を受けた時、愛する者を失った時などの精神状態―が、このような結果を起こすことが見られる。


自殺の禁止も、まるで他の命令や禁止にあるように、アッラーが人間の生命に与えた価値を示している。イスラームのすべての判断は、人間の生命というものの個人や社会的存在としての保護、頭脳、健康、子孫、財産、宗教と信仰などの保護のためである。例えば、アルコールや覚醒剤の使用は、頭脳と健康を守るために禁止されている。盗みは、財産の保護の為に禁じられました。不義は、次世代の保護を確かにする為に禁じられました。ザカート(喜捨)は、社会の富の保護を目的として義務とされました。戦いは、地域の存在と宗教と信仰を守る目的では許されている。

 

つまりイスラームは、人間の個人の生命と社会構成を脅かすすべての悪に対して、厳しい態度で挑んでいると言える。なぜならば、この宗教の基本的な目的は、社会の中において平安と安全の中で生きることであるからだ。
 

 

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