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アメリカで起きた悲劇的なテロ事件がきっかけとなり、私たちは、こうした出来事に対する「クルアーンの言う真の公正さ」、「あるひとりの人間の生きる権利は全人類のためであっても犠牲にされてはならないこと」、そして「ある人間の犯した過ちのためにその友人や近しい者たちもがその責任を問われることはない」といった真実を示したいと思いました。なぜなら聖クルアーンの視点は、来世と同様、現世においても人間は平和と幸福のうちに生きるべきであると最上級に明言しているのですから。
このことから、人間、特にムスリムには、聖クルアーンの命ずるところに従い、中庸(ちゅうよう)であることが求められ、あらゆる残虐行為に反対し、常に人類の平和と幸福のために積極的に努力する義務があるのです。
『人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである』 聖クルアーン 第5章
(食卓章/アル・マーイダ)第32節
この節の意味するところは、無実のひとの権利がたとえ全員のためであっても取消されることはない、ということです。ただ一個人のことであっても、皆の満足のためにそれが犠牲にされてはならないのです。偉大なるアッラーのご慈悲のもと、権利は権利として認められており、その大小は問われません。小さなことが大きなことのために損なわれてはなりません。ある共同体のやすらぎのために、個人の同意もないまま、その生命や権利が踏みにじられてはならないのです。
『人びとよ、われはひとりの男とひとりの女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである』
第49章(部屋章/アル・フジュラート)第13節
つまり、『(アッラーは)あなたがたを民族ごとに、部族ごとに創った。互いに知り合い、社会生活での関わりを知るように、互いに助け合うようにと。あなたがたを部族に分けたのは、他者を拒み、よそ者扱いにし、敵対し合うようにするためではない』ということです。
この聖なる節に定められた内容については、次のように説明できます。
ちょうど軍隊は大隊に、大隊が中隊に、中隊が小隊に、そして班にまで分けられます。そしてそれぞれの兵士は自分自身の任務をよくわきまえなくてはなりません。そうして軍隊の兵士たちは、協調しつつ、真のまとまりの中で義務を果たし、社会生活の敵や攻撃から自分を守ることになります。
このように分かれていることは、小隊同士が戦い、中隊同士が敵対し合い、大隊同士が攻撃し合うためではないのです。
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イスラームの最も重要な要素のひとつは、「慈しみの心を持つこと」そして「危害を加えないこと」です。
なぜなら、
『荷を負う者は、他人の荷を負うことはできない』 第35章(創造者章/ファーティル)第18節
のです。
つまり、「ある人が過ちを犯したからといって、その周囲の人もしくは友人が過ちを犯したことにはならない。(本人以外を)罰するには値しない」というアッラーの原則、アッラーのご意思に対して、
『人間は、本当に不義であり、忘恩の徒である』 第14章(イブラーヒーム章)第34節
という含意に満ちた、冷酷なまでの答えが返ってきます。
ある者が殺人を犯したことで、仲間意識をもつ被害者の側には、ただその一味にだけでなく、その周囲の者たちにも敵対感情が生まれ、彼らに対して迫害を行なおうとするかもしれません。それが権力者であれば、その犯罪者の過ちのために、村に爆弾を落とすのです。
無実の者の権利は、多数の悪人 のために犠牲にされてはなりません。そのために、無実の者が迫害されてはならないのです。
 
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