イスラーム Q&A

 

 なぜ私たちはイバーダ(信仰行為)を行うのか?

 
私はセルマとその友人たちとともに、たくさんのことについて話した。イスラームにおける女性の権.利について、神の存在について、などなど。更にもう一つの事を、彼らは尋ねた。


「私たちがイバーダ(信仰行為)をすることは、アッラーにとつてどういう必要性があるのですか?私たちが礼揮したら、それが何かになるのですか?しなかったらどうなるのですか?イバーダをしなければ、アッラーに害を与えることになるのですか?その力を失わせることになるのですか。」


この質間の答を、サイドヌルシーの作品が与えている。その―部分を私たちは読んだ。「神は、おそらく、あなたのイバーダをまったく必要としていない。しかし、あなたは必要としている。―人の病人が、情け深い医者が薬を飲むようにと説得しているのに、『あんたにどんな必要があって私に薬を飲めと主張するんだ?と聞くことがどれほど無意味なことか、あなたは理解できるだろう。」


セルマと友人たちは、驚きながら尋ねた。


「イバーダをすることは、私たちにどんな効用があるのですか?私たちにとって、どんな薬になりえるのですか?」


「イバーダは、人間の体にとって数え切れないほどの効用があります。精神的にも、肉体的にも。このことについて話す前に説明しておきたいのですが、私たちは物質的な効果のためにイバーダをするのではないのです。ただ神がそれを命じられたから、するのです。イバーダによる物質的な効用は、イバーダ本来の理由でも、目的でもありません。イバーダを行うことの基本的な理由と目的は、ただ神の命令のうちにあります。


物質的な効果について説明するなら、たとえば、断食は、今日その物質的効用は医学的にも認められています。西洋のいくつかの国では、断食療法を行う施設も造られています。単に断食だけではありません。―日に五回行うことになるウドゥー(礼拝前の清め)の効果についても、皮膚や鼻やのどなどのために効果があることが確証されています。女性は肌に気を配りますが、この清めは肌を美しく保つためにも大きな効果があります。美容の専門家は、『肌を清潔にして下さい。そして十分な水で洗って下さい』といいますよね。ムスリムの女性は、これを毎日やっているわけです。また女性たちは、エアロビクスにいったり体操しにいったりしていますね。礼拝は、人体の器官のためにとても効果的な動作を含んでいます。


たとえば、朝の礼拝は人間にエネルギーと若さと活発な気力を与えます。この礼拝を行う時間は、空気もきれいでオゾンガスを含んでいます。このガスは体にとって数え切れないほどの効果をもたらします。現代医学における研究の結果、この効果は注目を集め始めたようです。もっとも興味深い点は、このガスは朝のうちだけのもので、陽が昇り始めるとなくなってしまうということです。


フランスの医者たちによると、1日5回の礼拝はリュウマチにも交くそうです。また、現代人がストレスから逃れるために行ったりするヨガの心と体を休めるあの動作も、私たちの礼拝に含まれているのです。


礼拝に、このような精神的・肉体的な効果があるなら、私たちが礼拝のようなイバーダを行うことが神にとって何か有意義なのかときくことがそもそもばかげていることが分かるでしょう。たとえば神は人間に対して、飲酒やギャソブル、不義の行いなどをも禁じておられます。なぜこれらは禁じられているのでしょうか?人間を抑圧し、この世で楽に生きることを妨害するためでしょうか?決してそんなことではありません。私たちを、こういうありがちな病いの害から守るためです。今日の医学は、この種の禁じられた行いが人間の体に与えるであろう害を明らかにしています。

 

更に、社会主活に対して与えられる害についても。酒を飲み、ギャンブルにはまり込み、おたがいにだましあい不貞を働く人々は、その配偶者や家族たちの家庭生活を不安定なものとし、子供たちに悪影響を与えます。そういうわけで神は、私たちのために禁止事項を作ったり、命令を与えたりされているのです。


礼拝をするとき、人はアッラーに畏怖の念を抱きます。自分を創り、導き、この世での行いからあの世で自分を裁くであろうある存在を知りつつ、頭を床につけるのです。このようにひれ伏して祈るものは、酒は飲まないし、ギャンブルに走ったり他人の権利を踏みにじるようなことをしたりすることもないでしょう。そして社会のためだなるようなことを、いつでもするでしょう。たとえば、イスラームでは、ザカート(喜捨)もひとつのイバーダです。ムスリムは冨の40分の1を、貧しいものに与えなければなりません。アッラーへの畏怖、あるいはアッラーに認めて頂きたいという感情が存在しなければ、人はどうして財産の40分の1をも差し出すことができるでしょうか?実際、口シアでは共産主義や社会主義がうまくいったでしょうか?社会主義は、貧しいものと裕福なものとを平等にするために出発したはずでしたが、でも、成功したでしょつか?


私たちの預言言(S・A・W)は、『隣人が空腹でいるときに、満腹しているような人は、我々の仲間ではない。』と、すへての裕福なムスリムが貧しいもののために援助することを命じられています。


イバーダのこういった物質的な効果をきちんと説明するためには、分厚い本を書く必要があるほどです。でも、私たちは、物質的効用のためではなく、ただアッラーに認めていただくために行っています。神の命令である、ということがイハーダを行う真の理由だからです。」


セルマはたずねた。
「つまり、アッラーを知っていることを明らかにするために、しなければいけないということですか?」
「そうです。そして、神の恵みに感謝するためでもあります。神が財産を与えられたのなら、感謝として喜捨しなければいけません。恵みの大切さを良く分かるために、空腹に耐えて断食しなければなりません。」


神は私たちを石ではなく、土でもなく動物でもなく、人間として創られました。私たちが神と対話することを認めて下さいました。だから神を良く知り感謝するべきなのです。


世界は永遠ではないし、人は誰もこの世界に水遠にとどまることはできません。目の前に、別れや死が存在します。もしこういうものが全くないのであれば、人々はまったく思うとおりに生きて、イバーダの必要性など感じないのかもしれませんが、しかし、何も永遠ではないのです。私たち誰もが、確かに墓場へと続く道を進んでいっているのですよ。寿命というものから逃れることはできないのです。すべての瞬間に、死は訪れ得るのです。墓は、恐ろしいその口を開けて、わたしたちを待っているのです。


そのときもっとも幸福なのは、この世の快楽に惑わされず、創られた目的を理解している人々です。自分自身を創られたある存在をイバーダによって知る人々です。この宇宙を眺めるとき、無秩序で無意味なものは何もありません。


だから、なぜ私たちだけが無秩序で何の目的もなくいられるでしょうか?」

 

 

イスラームQ&Aへ戻る

 

 

前のページへ

次のページへ