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淫行は多くの害をもたらします。淫行とは人間が道徳的に非合法な行動に心を捕らえられてしまうことです。もちろん合法的な行動は禁じられていませんしこれは淫行とはいいません。その通りです、合法的な行動は意欲を満足させるには十分です、ハラーム(イスラームの教えに反する行動)な行動をとる必要はありません。預言者ムハンマドに関して「淫行に関わるようなことは一言も言っていないし(預言者になる前も)淫行に一歩でさえ近づいたこともなかった」と言われています。
実は彼は「無罪」でありました。「無罪」とは罪を絶対に犯さない、見てはいけないものを見ずに、禁じられた行動に絶対に傾かないことです。もし小さな罪でも預言者ムハンマドが犯したら彼を常に困らせようとしていた敵はそれをすぐに利用したに違いありません。彼のことをマジシャンや詩人、予言者、孤児、貧乏と呼んでいた人たち、彼の目的は実はあれだよなどといっている人たちでさえムハンマドが道徳的に非合法な行動をとったと一度もいえなかったのです。言っても誰も信じないからです。彼は一生純潔な生活をおくりました。口から淫行的な言葉一言も出なかったし、そのような言葉が耳に入ることもなかったのです。彼はよくない言葉に対してすぐに反応していました。
あるときユダヤ人たちが来て「あなたに死あれ」という意味で「アッサーム・アライクム」と言いました。アーイシャ様は「アッサーム・アライクム」と言われたことに気づいたので「ワ アライクム・サーム(あなたにも死あれ)」と答えました。ムハンマドが彼らしい感じで優しく「ワ アライクム」だけと答えました。その後アイーシャに向かって「アイーシャよ!厳しくしないで!かたくならないで!」と彼女を注意していました。聖アイーシャが「ムハンマドよ!気づいていないのですか?あなたがなんと言われたか知っていますか?」と仰ったところ彼は「私も彼らに同じことがあるようにと言いました。しかし絶対にその「死」という不気味な言葉を使いませんでした。ここで言えるのはムハンマドの口に悪い言葉が一度も入ったことがないということです。
彼は次のように仰っています「インナッラーヘ ラー ユヒッブ ファーヒシェル ベズィール」つまり「無遠慮に、どこでも、言ってはいけないことを言う者、淫行に関する言葉を口にするものをアラーは愛さない」
残念ながら淫行は今の時代非常にはやっています。しかし淫行はあらゆる形、あらゆる状態、あらゆる場所、あらゆる方法でサタンの望む方法で、彼のために働きます。淫行に対してイスラームが伝えているいくつかのルールや規律があります。信仰を持つ人たちはこれらのルールを守れば淫行の流れから身を守ることができるのです。しかしイスラームの規律に従わなかったら人々は漂流している切り株のように淫行の流れに捕らえてしまうに違いありません。
自分たちも含めて、全ての友人や兄弟に関して心配しているもっとも大事なことは、いつかサタンが彼らをこの弱点を利用してだますかもしれないということでしょう。悪魔のように、悪い目的を持っている人たちは、我々の友人で性格がまだ十分に成長していない若者たちを女性を通じてだまして、彼らを悪い方向へと向かわせようとしています。その悪い人たちはお金で解決できることであればお金を利用して、地位を利用してだますことができれば地位で、不道徳的な道に向かわせることによって人々が堕落するよう常に努力しています。(アッラーが我々を守ってくださいますように)
この件に関しましてイスラームは次のように言っています。イスラームは人間に関する全てのことを事実として取り上げます。たとえば人間に怒りや欲望、頑固であるなどの感情があるというのは事実です。しかしこれらの感情は適切な場所で表に出ると非常にいい結果をもたらすわけでありますが、逆の場合はよくない結果になってしまいます。これと同じようにイスラームは人間に「性欲」があることも事実として認めています。なぜならば「性欲」というのは社会の一員として人間がきちんとした人生をおくるために必要なもであるからです。
人間はこの性欲という贈り物を正しく利用して地上にアッラーの「使徒」として住んでいるウンマが増えるように努力するべきだからです。ムハンマドは「結婚して、子供を作って増やしなさい。審判の日に私はあなたが大勢いることを誇りに思うのであろう。」と仰っています。彼は断食明けの食事を居酒屋で、祭りを偶像の前で祝う人たちの数の多さでなく、きちんと礼拝を続けて、メッカに向かい、我々と同じ言葉を謳って神のことだけを考える人たちの多さを誇りに思うのです。
したがって確実にいえるのは「性欲」というのは聖なる感情です。なぜならばそのおかげで立派な人たちがこの世に生まれてきたからなのです。預言者ムハンマドもその一人です。
イスラームはあらゆる社会的なことに関してバランスをとっているようにこのことに関しましてもバランスを作っています。原則として考えるべきなのは人が罪を犯さないことです。これを果たすためにいろいろなことが考えられます。結婚することはそのもっとも大事な例です。人は経済的・身体的に丈夫であれば早く結婚するべきです。結婚するための条件がそろっていなければ断食するべきです。これは預言者ムハンマドのすすめであります。なぜならば断食は人間を罪から守ります。しかし断食もきちんとした断食でないと役に立ちません。
たとえば人間は一日朝から晩まで何も食べずに我慢して、夜は必要以上に食べてしまい、夜のサフールでも断食明けの食事のように食べたら、断食の意味が完全になくなります。なぜならば断食の目的は性欲を止めることです。しかし必要以上のカロリーをとってしまうと、性欲を止めるどころか、促進してしまいます。したがってこのように食べる人のために断食は役立たないのです。
人間は日常的にも食事を注意しながら取らなければなりません。少し食べて、少し飲んで、少し寝るというのはイスラームの変わらない原則です。預言者ムハンマドは最大でも胃の1/3を食べ物で、1/3を水で満たして、残りの1/3を空のままにするように仰っています。アッラーにとってもっとも質の悪い容器はいっぱいになった胃だとも仰っています。したがって断食でも同じことを守るべきです。
すすめられている量を守らないにもかかわらず断食は役に立たないといっている人は断食の悪口をしているわけです。断食は役に立っているに違いありません。しかしその人が嘘をついているのです。
ある人が預言者ムハンマドの所に来て、兄弟がとても苦しい胃痛にかかったと伝えました。預言者が彼に蜂蜜を溶かした水を飲ませるようにすすめました。同じ人が次の日また来て胃痛が余計苦しくなったと預言者に伝えました。預言者がもう一度同じアドバイスをしました。三日目も来て同じことを言ったら預言者が:「アッラーは正しいことを仰っています。だがあなたの兄弟の胃が嘘をついています」と答えました。この会話の中に知恵が隠されています。もしかしたらその人の信仰は弱いという意味かもしれません。人は毒でさえ意思を確かめて強い心で飲めば薬のように利くかもしれません。
しかし集中すること、アラーに心を寄せることもとても大事です。このように、預言者ムハンマドが断食を、罪を防止できる方法として取り上げているにもかかわらず我々はこの方法をちゃんと応用できていないのであれば我々が自分たちを見直す必要があります。預言者ムハンマドはいつも正しいことだけを仰ったからです。
さらに一部の人は特別な状態で創造されたので人間的な感情が普通より強い場合があります。このような人々は狂うほど結婚したい気持ちを持っているかもしれません。おそらく断食は彼らに効きません。このような人は経済的に良くない状態であっても結婚するべきです。それによって罪を犯すことを避けることができます。
イスラームは若者に結婚するように、または断食するように命令して社会に被害を与えるようなことから社会を守っていますし、制限などを作りながらバランスをとっています。たとえば、もしある若者が住んでいる場所で異性を誘惑しそうであれば、ほかの場所に移住していくようにすすめられていました。たとえば預言者ムハンマドがある女性をこのような理由でメディナから追い出しました。オマル様はある若い男性をメディナの外に住むように命令を出しました。その若者がオマルに尋ねました「オマルよ!私の罪はなんですか?」。
オマルは次のように答えました:「罪はありません。しかし安定した社会を作れるようにあなたをメディナの外に追い出さなければなりません。なお目や耳やそのほかの器官を性的に刺激するようなものを社会からなくしたほうが安定した社会を作ることができます。それで初めて社会を淫行から守ることができるのです。」
今の時代の人々は大きな危機と直面しています。預言者ムハンマドは数回このことに関して注意をなさいました。「私のウンマに関して最も恐れているのは女性の唆しである」とおっしゃいました。別のハディースで次のように仰っています:「私のウンマに女性以上に危ない誘惑はない」。女性の誘惑が原因で過去に数多くの文明がアッラーから遠ざかりました。その通りです、数多くの国が女性の誘惑のせいでだめになりました。西ローマや東ローマ帝国が性欲のせいでつぶれたのです。
アンダルシア(スペイン)アル・ハンブラ宮殿の浴場の壁に描かれている絵を見るものは皆そう思うのでしょう。アートといってあちらこちらに描かれている性的なテーマの絵は当時の道徳の基準が悪くなっていたことの証拠であります。無論アッラーは残酷ではありません。残酷な人はアッラーの刀です。アッラーは残酷な人を利用して復讐します。これに関しまして「Ezzalimu
seyfullah yentekimu bihillah sümme yüntekamu minhu.」という言葉がクルアーンに書いてあります。アッラーがアンダルシアの人々にファーディナンドを襲わせた時、彼らはもうすでに性欲に負けていたのです。
これに似たように、アッラーが我々にギリシャ人やブルガリア人を襲わせたときも、真剣なイスラーム教徒が多い地域の人々でも多くの人が夜の飲み会やいろいろなパーティーなどを行っていたのです。しかしその後それらの行為より宗教的に全く低いレベルの事柄で反乱を起していたのに、夜遊びやパーティーのような事に関して何の反対もなかったのはおかしい出来事でした。そこでアッラーは、様々な過酷な経験をさせながら彼らに「しっかりしなさい」というメッセージを送ったのでした。
淫行はまさに国家を崩壊させる危険な病気に違いありません。セルジューク帝国からアッバース帝国、それからオスマントルコでも淫行は社会に害を与え続けました。今後、誰がその危険な淫行の流れに捕えられてしまうのかは不明です。「現在はいくつかの仮説が出ています。」この仮説によって清潔な人たちも汚れる恐れがあるためこのことに言及しておきます。この仮説によると淫行を避ける方法は男女が常に一緒にいることです。こうしてお互いに慣れていって危険は全くなるということです。
この仮説は非常に恐ろしい嘘であります。この恐ろしい嘘は若者の50−60%を間違った方向に向かわせたのです。科学的な統計などを見ると我々(トルコ)の若者の60%がアルコール飲料を飲んでいます。アルコールが若者を少しずつ淫行の罠にいざなっていくのは明らかです。今まで勇気ある人で調査した人がいないと思いますが、調べればトルコに存在する外国関係の危険なグループの多くが淫行を利用して我々の若者を攻撃しているのがわかるのでしょう。アルコールと淫行は若者の血管に流れているがん細胞です。淫行を利用した攻撃は隠していても隠さなくても癌のようです。
彼らが言っているように性欲を止めるには淫行を使うべきだというのは、のどが渇いた人に海水を飲ませることと全く同じです。海水を飲ませれば飲ませるほどのどがさらに渇いてしまい、それでさらに飲んでしまうのです。それにイスラームが決めた範囲で体を隠さないと女性だけではくて男性に対しても悪影響があるはずです。毎日のように裸の体などを見ながら、淫行に関する言葉などを常に耳にしながら、一度頭に入ったら頭から消すことができない淫らなイメージを見ながら育っていく人の体では、必要以上に男性ホルモンが分泌されるのでその男が「法律も禁じていないので」異常な性的関係を持ち始めたりしているのです。
イスラーム教徒は個人的な生活でこのようなことに注意しなければなりません。なぜならば述べたような悪行は人の心を少しずつ占拠していって「その心の(鋳?)となったのである」(ムタッフィフィーン章14節) で指摘されている事が起こり、心が何も感じなく何も受け入れなくなってしまいます。罪で真っ暗になった心を持つ人はイスラームの安らぎを感じるのが無理です。
結局、淫行をとめられるために二つの方法と任務があります。一つ目は個人的なことなのですがそれは結婚なり、断食なり、いろいろな行動をとりながら自分を淫行から守ることです。二つ目の方法は全国家と全国民の責任であります。それは社会を淫行に向かわせる道や活動をなくすことです。その活動は国家を崩壊させるような最も危険な眩みの世界から生まれてきているのです。アッラーがクルアーンで例の眩みの世界に関して注意して次のように仰っています:「信仰する者の間にこの醜聞が広まることを喜ぶ者は,現世でも来世でも,痛ましい懲罰を受けよう。あなたがたは知らないがアッラーは知っておられる。」(ヌール章19節)
 
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