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私が自分の指を動かそうとする時、脳にある多くの神経細胞がインパルス(電気刺激)を送り始める。これは脳から、延髄や脊髄を通し、体の他の部位に伝えられる。それは、末端神経の一つを形成する、腕へ達する。それからこの電気的刺激は指に達する。それは筋細胞に働きかけ、収縮させ、指が動くのである。
これらのことが起こるのとほぼ同時に、私の目と私の指からの情報が脳へと伝えられ、それにより、私の指は私の思うように動くのだ。例えば、指の動くところに何か障害物がれば、脳は指の動く方向を変えることができるのである。
ただし、ここで述べたことは、決してシンプルな出来事ではない。神経細胞から筋細胞に至るまで、一連のプロセスを通し、非常に複雑な変化が、細胞および分子のレベルで発生しているのだ。
筋細胞を取り上げてみよう。電気刺激は、軸索を伝わって終板に達し、筋肉は収縮する。収縮がおこるのは、電気的変化によってカルシウムチャンネルが開き、カルシウムイオンが筋小胞体から放出されるためである。高校の生物の授業を思い出してみよう。筋細胞の変化は、二つのたんぱく質(ミオシンとアクチン)が互いに滑りあう結果起こるものである。普通、アクチンはトロポミオシンと呼ばれるたんぱく質に隠されている。だから、収縮をもたらすミオシンとアクチンの相互作用は発生しない。脳から筋肉が収縮するよう電気的な刺激が送られると、カルシウムが筋肉細胞の中へと送り出されるのはこのためである。これによって、ミオシンとアクチンを引き離していたトロポミオシンの作用を抑えるのだ。
さらに、ATPと呼ばれるエネルギーを持つ何百万もの分子が、ミオシンと、筋肉の収縮に結びついている。収縮が終わると、放出されていたカルシウムは、特定の区画に再び収納される。カルシウムが存在しなくなると、トロポミオシンは再びアクチンを覆う。そして何百万の筋細胞は最初の位置に戻り、次の収縮に備えるのである。
一般の読者にとって、これらの内容が難解なものであることを私は理解している。しかし、実際ここで行なわれていることは、実はもっと複雑なものなのだ。
「ATPがミオシンに結びつく」や、「カルシウムが特定の区画に収納される」といった表現は、実のところ、非常に複雑な作用をシンプルに言い表しているに過ぎない。何においても一つの理由があるように、わたしたちの細胞にも、これらの機能を持ち、こういった作用を実行するべき何かを持っている。この問題を最大限まで拡大していくならば、「各細胞は急速で規模の大きい化学反応を、常に、そしてお互いに妨げあうことなく起こしている」ということを理解する必要が出てくる。現在の科学の知識によるなら、酵素が、細胞におけるほとんど全ての反応を起こしていて、DNAは酵素を作り出すために必要な全ての情報を持っている、ということができる。酵素はたんぱく質の分子であり、細胞内で起こるあらゆる反応をすばやく起こさせる。もし酵素が存在しなければ、数秒で起こる反応に何千年もかかることになり、従って、私たちが知っている形での生命というものは存在しなかったであろう。生命の存在のためには、正しい酵素が正しい場所、そして正しい反応において存在することが必要なのだ。
話を続けよう。電気信号が筋細胞に到達し、カルシウムイオンが放出されると、それと共にあらゆる外的、内的信号がDNAに伝えられる。これは今から情報伝達システムによって、実現される。その後、RNA(リボ核酸)が、酵素を作るDNAの領域で作りだされる。この酵素は、細胞が適切な答えを出すことを可能にする。(RNAは、DNAが酵素を作り出すのを助ける。)
ATPアーゼ(アデノシン三リン酸、ATPの末端高エネルギーリン酸結合を加水分解する酵素群の総称)は、他の酵素がATPアーゼ細胞の正しい位置にあるか確認する際、ATPを用いることを可能とする。一方、生命の維持のため、何千もの酵素が、正確な時、正確な場所において様々な反応を行なう。つまり、私が自分の指を動かす時には、動作している要素の数は膨大なものとなるのだ。
細胞の、より素晴らしい点を見てみよう。ここでは計算をシンプルにするために、実際よりも小さい数を使うが、脳における最初の衝動のレセプションからある種の動作を筋肉が行なうまでに関わっている細胞を100万個と仮定し、そして、1000回の反応がそれぞれのセルの中に起こるとするならば、これは、指を一本動かす際には、のべ10億もの反応が起こっている、ということを意味する。わずか一秒間で、10億の反応である。そして同時に、私の心臓は鼓動を続け、新しい血液細胞が作られており、私の目は映像情報を脳に送り、私の腎臓は私の血をろ過しており、私の肺は、古い空気を新鮮なものと交換し、私の消化器官は必要な栄養素を供給する。さらにさまざまなことが起きている。さらには、これらのことが全て、継続的に起こっているのである。これらの動作が全て起こっているという事実は、非常に大雑把でシンプル化した仮定であるが、1秒間で1兆もの反応が起こっている、ということを意味するのである。この完全なマシン=人間の体が、どの瞬間でも、ばらばらに壊れてしまうのではないかと感じる人もいるのではないだろうか。
私にもし、それが作用している、という経験的知識がなければ、私はそのようなマシンの存在を絶対に信じなかっただろう。私が1秒に1兆の反応を起こしていること、常に起こしていること、取り違えたりはしないことをどうやって信じられただろうか。指を動かすのに10億の反応を起こっていること、1兆ものギアが、それ自体ひとりでに、ミスなく動き続けているということを。
こういったことを考えていた折、私は次の文章に出会った。「あらゆる種類の芸術と富を持つ建物が、それを建てた誰かなしに存在することはありえない。同様に、この宇宙の存在は、その創造者と親密に結び付けられる。注意深く熟考すれば、一方だけを受け入れることは不可能となるだろう。」これを読んでから、私はこれらのギアが、ひとりでに動いているのではないことを理解し始めた。あらゆる瞬間に、この1兆のギアは、ある存在に管理されているのだ、その存在にとっては、どんな事柄でも容易なのだ、ということに。もし、その存在の力が一瞬でも途切れたとしたら、1兆のギアは、不可逆的にぐちゃぐちゃに混じりあい、私たちの体はバラバラに壊れてしまうだろう。
 
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