イスラーム勉強シリーズ

 

 10番めの論拠「一時的な創りがもたらす永遠な記憶」

 
来なさい、今日は春の祭りの日である。大きな変化が起こるであろう。驚くべきことが起こるであろう。この春の素晴らしい一日に、美しい花が咲いているこの緑の大平原へ行って、見てみよう。


ほら、見なさい!住民たちもこっちへ来る。見なさい、魔法のようなことが起こっている。あそこの建物群が突然荒廃し、全く別のものと化してしまった。ほら、奇跡が起こっている。荒廃した建物群が、こちら側に即座に創られた。平原が文明的な都市に変わったのだ。映画のスクリーンのように、毎時異なる世界を見せ、形を変えていっている。


注意しなさい。これほど複雑で速く、また膨大な数の、真実のスクリーンの中に、完全な秩序が存在するのだ。全てがふさわしい場所に配置される。想像上の映画のスクリーンでさえ、これほどの秩序を持つことはできないだろう。何百万人もの魔術師でさえ、このようなところを創るのは不可能だ。つまり、私たちに姿をお見せにならないこの支配者には、実に大きな奇跡があるのである。


愚かな者よ、君は「このような大きな国がどうやって崩壊して、別の地に創られようか」と言っていた。
しかし、君も見ての通りである。毎時、あなたが認めようとしなかった、国から国への大移動といったような多くの変革が、変化が起こっている。集まり、散らばり、こういった状態から理解できることがある。すなわち、目に見えるこの高速の集合、分解、形成、破壊といったもののうちには、また別の意図があるのだ。一時間の集合のために、十年分の費用がかけられている。

 

つまり、こういった状態は、それ自体が目的というわけではなく、ある象徴化、またある模造である。あるお方がその奇跡で持って行なわれているのだ。形を写し取って形成できるように、どういうものになるか記憶され、記されるようにと。この方向を決めるための場で、全てが記録されているように、である。要するに、最も偉大なる集合場所において、作業はそれらの続きから行なわれる事になるのだ。その地で、常にその姿を見せることになるであろう。


これらの一時的な不確定状態が、しっかりとした状態を、永続的な果実を実らせるのである。
つまり、この大きな式典は、大きな幸福、偉大な審判といった、我々が知らない高尚な目的のためである。
 

 

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