イスラーム勉強シリーズ

 

 4つめの論拠「喜びの続き」

 
見なさい!限りもないこの展示品の中の、他に類を見ない宝石類、この食卓の上の類を見ない食物を。これらはこの地の支配者の無限の気前のよさ、そして無尽蔵の宝庫があることを示している。このような気前のよさと尽きることのない宝物は、恒久的で、必要な全てのものが存在する晩餐の場を要するものである。そしてこの晩餐に喜ぶ者たちがそこでそれを続けることができることをも要する。終末、破滅によって苦しみを味わうことのないようにと。


なぜなら苦しみの消滅が喜びであるのと同様、喜びの消滅もまた苦しみであるからである。
この展示場を見なさい。そしてこの公告に注意を払いなさい。この布告に耳を傾けなさい。奇跡を示されるこの支配者の芸術品を構成し、展示している。完全性を示している。比類のない精神の美を明らかにしている。秘められた美の優美さを語っている。


つまりその支配者の、実に驚くべき完全さと美が存在するのだ。目に見えない欠損などがないこの完全性は評価し、認め、素晴らしいと見る者に対して示されることを要するものである。秘められた、見る者のない美は、それを示し、それを見ることを要する。すなわち自らの美を二つの形で見ること、一つは様々な鏡の中で御自身を見ること、もう一つは熱心な観衆や驚きの中で賞賛する者たちの観察によって見ることを要する。見ること、見られることの両方、恒久的な観察と、証人の両方を要するのである。そしてそれは恒久的な美は、熱心な観衆や驚き賞賛する者たちが常に存在することを要する。なぜなら、永遠の美は一時的な熱心さなど認めないからである。戻ることなく去って行くことを運命付けられている観衆は、その終末を自ら想念することによって、その愛情が敵意に変わっていく。驚きや敬意は挑発へと変わっていく。人は知らないこと、達成できないことに対しては敵となってしまうからである。


しかし、人は皆この客室から、すぐに去って行ってしまう。その完全性や美の光を、あるいはただその薄い影を一瞬見ただけで、満たされることなく去って行ってしまう。
つまり、永遠なる観光地へと向かうのである。

 

 

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