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第13番めの薬
病に不平を言っている哀れな患い人よ。病は一部の人にとって、大切な宝である。貴重な、神からの贈り物である。病気の人は誰でも、自らの病をそのようにとらえることができる。
寿命は、知ることができないものである。神は人を思い通りにならないことに対して失望することや、自我のとりこになり神の命令を忘れることから救うために、また恐れと希望の中間にいて、この世とあの世を守ることができる状態に保つために、その英知によって、寿命を秘められたものとされた。最期の時はいつでもやってくる可能性があるのである。もし人がのんきに構えていれば、あの世での生に大きな害を与えることになってしまい得る。病はこののんきさを蹴散らし、あの世を考えさせる。死を思い起こさせる。 このようにして備えがされるのである。20年かかって到達できなかった段階に、20日で到達できたりすることもある。
例を挙げよう。私の友人に、今は故人となったが、二人の若者がいた。この二人は無筆であったにも関らず、その誠実さと信仰の奉仕において、生徒達の中でも最も優れていた。私はいつも驚きをもって彼らを眺めていたものだった。彼らが死んだ後で私は理解したのだ。二人にはそれぞれ重大な病があった。その病が導きとなって、のんきで義務を怠る若者としてではなく、罪から身を守り、価値のある奉仕を行い、あの世にとって有益な態度で生きたのであった。インシャッラー(神がお望みならば)、2年間の闘病が、永遠の生における何百年もの幸福をもたらしたことであろう。私が彼らの回復のために行ったドゥアーは、今になって分かったことだが、この世の健康という意味では、呪いのようなものであったのだ。インシャッラー、私のあのドゥアーが、彼らのあの世での健康のために受け入れられたことを願っている。
この二人は、10年間続く努力によって得られるようなものを獲得したのだと私は確信している。もし二人が、一部の若者のように、健康さと若さを過信して不注意さや快楽にはまってしまっていたとしたら、死が彼らを、罪にまみれたままとらえていたとしたら・・・。彼らの墓は光の宝庫ではなく、さそりや蛇の巣になっていたことだろう。
病にはこのような効能がある。だから不平を言うのではなく、神への信頼と忍耐と共に神に感謝し、神の慈悲を信頼するべきなのである。
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