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第19番めの薬
偉大さと無限の美を備えられたお方アッラーの全ての美名は「何ものも必要とされないお方」という美名の表現で示されているように、素晴らしいものである。存在する全てのものの中で、このお方の最も優美で素晴らしく、意味深い鏡は、人生である。美しいものを映す鏡は美しい。美しいものの美しさを示す鏡は美しさを増す。鏡の前に何であれ美しいものがあれば鏡も美しくなるように、人生の上で何があろうと、真実の点においてそれは美しい。なぜならそれはアッラーの美名の素晴らしいはたらきを示しているからである。
人生が常に健康のうちに何事もなく過ぎれば、そのはたらきは一つの鏡に過ぎなくなる。それはある形で消滅や無を思い起こさせ、苦しみを与え得る。人生の価値が目減りし、生の楽しみを苦しみによって失う。早く時が過ぎるようにと道楽や快楽にふけるようになる。それが刑期であるかのように、貴重な生の時間を敵視し、時間をつぶして過ぎ去らせようとする。
しかし、さまざまな状況変化や動きの中でいろいろな状態を経ていく人生は、その価値をひそやかに示し、人生の重要さと楽しさを知らせるものとなる。苦しみや災いの中にあっても尚、生の時間が終わることを望まない。時間が過ぎない、と不平を言うこともない。
そう、裕福で、やらなければいけないこともなく、安楽いすに座って、全てが揃っているような人に尋ねてみなさい。「今どのような状態ですか」と。「いやあ、時間がぜんぜん過ぎないよ。おいで、一緒に遊ぼう。時間つぶしのために何か楽しいものを見つけよう」というよう、悲痛な返事を得ることになるだろう。あるいは、果てのない欲望からもたらされる「これがない、あれがない、これもやっていればよかった」というような不平を聞くことになるだろう。
困難な状態の中にあり、やらなければいけないことを多く抱えている貧しい人にも聞いてみなさい。彼が理性を持っているなら、こういうであろう。「神に感謝を。元気で働いているよ。時間がこんなにも早く過ぎなければいいが。仕事を終わらせられない。時間が過ぎるのは早いよ、止まらない。いろいろな苦労はあるけどそれも過ぎていってしまうものだ。なにもかも、あっという間に過ぎていってしまう」と。生の時間がどれほど重要であるか、過ぎ去ってしまうことへの悲しみと共に語る。つまり、困難さや働いていることによって、人生の楽しみや生の時間の価値を理解しているのである。苦労のなさ、病のなさは人生を辛いものに変え、だからこそ早く過ぎてしまえと願うのだ。
ああ、病気の兄弟よ、知りなさい。災い、災難、さらには罪の元、本髄とは無である。無は災難であり、闇である。変化のない安楽な状態、動きのなさ、停滞といった状態は無に近いものであり、だからこそ無における闇をほのめかし、苦しみを与えるのである。動きや状態変化は存在であり、無ではなく存在を示すものである。存在とは偽りのない善であり、光である。
だから、あなたの病気は、あなたの貴重な生を純粋なものとし、力を与え、よりよいものとし、体の他の各器官がその病んでいる器官のために協力し合うこと、そして全てを英知でもって創造されたお方のそれぞれの美名の働きを示すこと、といった多くの任務のためにあなたの体に客として派遣されたのだ。インシャッラー(神がお望みならば)、早く任務を果たして去るように。そして健康に告げる。「さあ来なさい、私の代わりにここにずっといなさい。あなたの任務を果たしなさい。ここはあなたの住処だ。ここで楽にしなさい」
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