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仁慈あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
1. カーフ・ハー・ヤー・アイン・サード。
2. (これは)あなたの主が,しもベのザカリーヤーに御慈悲を与えたことの記述である。
3. かれが密かに請願して,主に祈った時を思え。
4.
かれは言った。「主よ,わたしの骨は本当に弱まり,また頭の髪は灰色に輝きます。だが主よ,わたしはあなたに御祈りして,御恵みを与えられないことはありません。
一番目の望み
円熟なされた親愛なるご老齢の兄弟達、ご婦人達よ、
私もあなた方と同じに年老いている。老齢に達したこのごろ、時折見出す望みとその望みから得られる慰安の光をあなた方と分かちあいたいと言う希望のもとに、頭に浮かんできたことをいくつか記そう。私が見た光と出遭った希望の扉は完璧ではない混乱した私の能力に応じて見出され、開かれている。インシャアッラーあなた方の純粋な力が、私の見た光を輝かせ、私の見出した望みをより強大にするだろう。
まさしく、その来るべき望み、光の源泉、基礎となる泉とはイーマーンである。
二番目の望み
年をとったある秋の日の夕方、私は高い山の上から下界を眺めた。その時、何ともいえぬ哀れと悲しみに溢れた不安が私を襲った。つと考えてみると、私は年をとり、太陽も年をとったようだ。年月も年をとり、世界さえも年老いた。年をとり、この世からの別れ、いとしい者達から別れの時が近づいてきたので、この老いの念は私を動揺させた。すると突然、アッラーの永遠の恩恵が開かれ、その哀れな不安や別れの念を、確固たる希望と輝く慰安の光に一変させた。
さよう、嗚呼、私のようなご老人たちよ、
クルアーンの中に100回以上も記された仁慈あまねく慈悲深き御方(アルラフマーニルラヒーム)という属性でご自身を私達にお現しになり、いつでも地上で恩恵を望みいきる者達へ無限の救いを御与えになり、幽玄の世界から毎年春を齎し、かぎりないめぐみと贈り物で満たし、必要な糧をお届けになり、非力で全く無力な私達に恩恵を照射し、御示しになるハールキ ラヒーム(無限の恩恵を創造なさるアッラー)のめぐみこそが、この年老いた今、私達にとってもっとも大きな希望であり強力な光となりうる。
このめぐみを見出すこととは、イーマーンとともに仁慈あまねく御方に結びつき、彼との義務を果たし彼を崇拝し、従うことである。
三番目の望み
若さの眠りから覚め、老いの朝に目覚めた時、私自身を眺めた。私の体は墓への下り坂を転げおちていくようだった。ニヤーズィミスリーが
「人生と言う館から一つづつ石が地面に落ちた。
命は気を止めずに横たわり、館はしらぬまに崩れ落ちた。」
と綴ったように、魂の館である肉体は日ごとに、石が落ちるように、衰えていく。そしてこの世と私を強くつなぐ希望と熱望は絶ちきれ、無二の親友たちや私の愛する者達との別れの時が近づいたのを私は感じた。その霊的な深遠な効く薬を持たないと思えた傷に効く薬を探しつづけたが見出せなかった。私もまた、ニーヤーズィーのように呟いた。
「私の心が力を振り絞って、不老不死を望んだとしても、アッラーの英知は私の肉体が衰えることを必要する。ルクマーンさえも解決を見出せなかった効く薬のない苦しみへ陥ってしまった。」と。
と、その瞬間、アッラーの恵み多きお言葉を語られる方、模範者、象徴者、宣言者、代理者であられる誉れ高き預言者ムハンマド(S)の光と彼のとりなしとそして人間に対する真理への導きが、治す薬もなしに際限なく続くと思われた傷に良く効く軟膏、特効薬となった。まさに暗黒の絶望を光り輝く希望へと変えた。
さあ、私のように老いを感じるご老人達、ご老婦達よ、
私達は死に逝き、ごまかしはなんの役にも立たない。私達の目を閉じたとしても、私達はここに留まることなくいつかは(あの世へ)送られる。が、気に留めないため、また一部の者にとっては正しい道からの逸脱に対する不安な強迫観念のため、私達に対して別離と暗闇にしか見えない墓の中の(死から審判の日まで)生活は、実は知人、友人たちの集まりの場である。私達をとりなしてくださるアッラーが最も愛された御方、預言者ムハンマドを始めにとして、すべての友人知人に出会える世界である。
さよう、1350年もの間、毎年、35000万人もの人々の長であられ、彼らの魂を育み、英知を教えてくださり、心に愛をお伝えになる御方、毎日、アッサバブカルファーイル(ある事の原因となりそれを成す者として)秘められた英知により、ウンマ(共同体)すべてがなす善行と同等の善が(天使によって記帳される)善の記帳簿の頁に書き加えられる御方、そしてアッラーがこの世界を創造なされた目的の理由であられ、創造物の価値を高められる原因となる御方であられる讃えられるべき預言者ムハンマド(S)は、この世に生を受けた瞬間、信頼おける伝承と秘められた英知により「わがウンマよ、我がウンマよ。」とおっしゃられたのと同様に、人々がマフシャルで「我が魂よ、我が魂よ。」と音を発する時、ふたたび「我がウンマよ、我がウンマよ」おっしゃりながら、最も神聖で、崇高な犠牲心と共に、再度、私達のとりなすため、私達のウンマの救済に急がれる御方、その方が逝かれた世界へ私達も向かっている。その太陽のに周りで多くのアスフィヤー(篤信で預言者(S)の道に従う神の友)やアウリヤー(神の友)達が諸星として輝きわたる世界へと私達は向かっているのである。その御方のとりなしの下に入り、彼のひかりから益を得、そして真っ暗な墓の世界から救われる方法は、まさしく、預言者(S)のスンナに従うことである。
四番目の望み
老いに足を踏み入れた時、今まで気にとめずにいた身体の健康が損なわれているのに気づいた。老いと病いが同時に私を襲った。何度も何度も襲ってくるので、夜も私は眠れぬほどだった。子ども達は財産と言うよなこの世に私をつなぎとめるものも何もなかった。ぼんやりしているうちに若さを失い、人生という資本の果実を、犯した罪やあやまちすべてを私は悟った。ニヤーズィー ミスリーのように叫びながら、
「私はなにも商売をせず、人生と言う資本を無駄にしてしまった。
もとの道に戻ったが、知らないうちに隊商はどこかへ移動していた。
嘆き、うめきながら静かに独りそこから、私は出発した。
悲しみで潤む目、心は燃えあがり、驚きおののく。」と言葉を発した。
その時、私は異郷の地にあった。望み泣く悲嘆にくれ、後悔から嫌悪感がうまれ、援助者にふさわしい懐かしさを感じた。
すると、その時、クルアーン イ ムウジズル ベヤーン(神意を伝える奇跡のクルアーン)が私に救いの手を差し伸べた。私にどれほど力強い希望の扉を開いただろう、どれほど真の慰安の光が与えられただろうか、その状況下で100以上の絶望さえも取り除く事ができ、その暗黒を一掃できるほどのものであった。
さて、私のようにこの世との関係が絶たれはじめ、この世に結びつく糸が切れ始めた親愛なるご老人、御老婦たちよ、
彼の支配の下に、この世界を完璧なすばらしいひとつの街、ひとつの宮殿を造られた永遠に偉大なお方が、その町、その宮殿に住む最重要なお客人や友人達と共に語らず、会うこともしないなどということが起こり得るだろうか?もともとすべてをご存知の上で、この宮殿を御造りになられたし、そのご意志とご選択によりそれを整え、飾り付けられた。さよう、やはり、造る者がよく知る、そして、よく知るものが語るのである。この宮殿や街を私達にすばらしい客間としてまた商談の場としてお与えになったのだから、私達に関連すること、私達の望みを示す一冊の筆記帳や本も見い出せるであろう。
まさにその聖なる本の中での最も完全なものは、多くの奇跡を示し、毎分少なくても100万の人との口々で読まれ、光を放ち、一文字につき少なくとも10の報奨と10の善行を、ある場合は1万もの、さらにみいつの夜には3万もの善行をお与えになり、さらに、天国の果実と墓の中の光をおあたえになるクルアーン イ ムウジズル ベヤーンである。この段階でその競争相手になる本は宇宙のどこにも存在しないし、誰も示す事はできないので、私達の手の中にあるこのクルアーンは、天と地のすべての美の創造者であられる万物の主による、創造者の偉大さと主のめぐみの広大さに基づく御言葉であり、ご命令であり、めぐみの源泉である。それ(クルアーン)にしっかりと結びつくように、すべての苦痛への癒し、暗黒に対する光明、絶望に対する希望がその中に秘められている。
まさに、この永遠の宝物の鍵とはイーマーンであり、(アッラーへ)服し、クルアーンを傾聴し,受け入れ、読むことである。
五番目の望み
初老に差しかかった頃、私は俗世から離れたいと言う望みを抱いてイスタンブール海峡のユーシャーの丘で独り魂の休息を捜し求めた。ある日その丘の上から地平線やあたりを見渡した。たいへん物悲しく、崩れゆく哀れな光景と別離は老いへの警告と思えてきた。私の寿命の木、その45年目の45番目の枝高さから今までの私の人生、つまり、木の下のほうをながめた。すると、それぞれの枝に、それぞれの年おおいがみられ、その中から私のいとしい者達、友好関係にあったもの達、知りあった者達の数限り無いいたいがあるのに気がついた。その別れと別れから齎される哀れな精神的悲しみの中で、フズーリーバグダーディーのように、離別する親友達を思い、泣き叫びながら、
いとしき御方にお会いすることとを想いながら、私は涙する。
この空っぽの肉体がまだ息をしているのに気づき、私はよりなきさけぶ。
と言いながら、私は癒し、光、希望を捜し求めた。と、とつぜん、来世のへのイーマーンの光が私の救助に駆けつけた。それは消える事のない光、絶たれる事のない希望を与えた。
さて、私のようにご老齢の兄弟達、ご婦人達よ、
来世がある、来世は永遠であるから、この世も美しい。私達を創造された大方は英知ある御方でもあり、慈悲深き御方でもあるのだから、老いに対して不平を述べたり、悲しんだりすべきではない。逆に、老いは信仰と崇拝行為によって円熟する。
確かな伝承によると、人間の中で最も高貴な人格を備えた124000人もの預言者達が、一部は証言により、一部は経験知により、全員一致して、(そこへ)人間が送られ、宇宙の創造者の確実な約束により齎されるという来世の存在を明確に知らせた。同様に、彼らの与えた報せを解明と立証に基づき、知識に基づく知から確認した12400万人もの聖者(神の友)達が来世の存在を証言した。英知あるこの宇宙の美の創造者のすべての御名がこの世を照射した。そして、この永遠の世界の明確なる必要性によって、ふたたび、来世の存在を証明する事となる。毎年春になると地上で枯れ果ててしまった木々がふたたび神の「あれ」(ヤースィン章82節)の命により、蘇生し、死後の復活を顕現する。
そして、ふたたび集められ、繁殖する何十万もの例が見られる植物群や動物界では3000万種もが集められ、繁殖することから、無限のはじめなき終わりもなき神の御力と神の永遠の英知と糧を必要とする生き物すべてに示される完全なる愛情により、はかりしれない感嘆すべき方法で、万物を育み、毎春、短期間に、数限り無い飾り付けをし、美を示される神の無限のめぐみと絶え間のないめぐみは明らかに来世の存在を必要とする。そして、このすばらしいの果物と万物の創造者の最も愛する芸術作品と宇宙に存在するものと最も深いかかわりを持つ人間に秘められた、深く、揺るがなく、絶え間ない永遠への愛と永遠への望みと永遠への行動は、明らかな印と指示によって、このつかの間の世界の後に永遠の世界、来世、幸福の国が存在する事を鋭く証明している。そのため、現世の存在とおなじように、明らかに来世の存在も受け入れる事を要する。
英知あるクルアーンが私達に御与えになった最も重要な教えとは来世へのイーマーン(来世を信じる事)である。その信仰は大変強力であり、その中に限り無い希望、慰安が存在する、一万人分もの老いが、1人の人間を襲っても、この信仰から来る安らぎはそれをうわまわる。
さよう、私達老人はアルハムドゥリッラーヒ アラーカマーリルイーマーン (完璧なる信仰のめぐみに対しアッラーに感謝し、讃えます)と唱えながら、「老い」を愛すべきである
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