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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
そして(祈って)言いなさい。「主よ、悪魔たちの囁きに対し、あなたの加護を願います。主よ、かれらがわたしに近付かないよう、あなたの加護を願います。」(信者たち章第97−98節)
第一のしるし
質問:
シャイターンは、創造には関与しません。またアッラーはそのご慈悲と庇護で真実を見出した人々を守られておられます。そして、真実の美しさは真実を見出した人々に力を与え、助けになります。さらに、逸脱のもたらす醜悪さは、道を誤った人々を憎悪させるものです。これらにもかかわらず、シャイターンの友である人々がしばしば勝っており、また信仰する人々が、常に、シャイターンの災いからアッラーに庇護を求めていることの理由は何でしょうか。
答え: そこにおける英知と意図は以下のとおりです。 逸脱と悪は、ほとんどの場合、否定的であって、破壊的であり、無をもたらすものです。
導きと善行は、ほとんどの場合、肯定的で、建設的で、損失を補修するものです。
二十日かけて二十人の男性が作った建物を、一人の人が一日で破壊することができるのは、周知のとおりです。様々な器官と生存のための条件が存在することによって成り立つ人の生命は、崇高なる創造主のお力によるものですが、一人の暴虐者が一つの器官を切り裂くことで、生というものに比較するなら「終焉」であり、死が、その人に訪れるのです。
だからこそ、「破壊は簡単である」という表現が、ことわざとして用いられるのです。
道をそれてしまった人々が、ほんの少しの力で、強い力を持つ信仰する人々を打ち負かすことがあるのはこのためです。
しかし、真実を見出した人々は、非常に強固な要塞を持っているのです。人々がそこに庇護を求め避難した時には、敵は近づくことができず、何も手が出せないのです。もし、一時的に何か害を与えたとしても、「最後は(主に対し)義務を果たす者に、帰するのである。」(高壁章第128節)に秘められた真実のとおり、永遠の善行、利益によってその損害は帳消しにされるのです。
そして、その強固な避難先とは、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)のシャリーアと、スンナなのです。
第2のしるし
質問:
完全な悪である悪魔の創造、そしてその存在が信仰する人々を惑わせること、そのせいで多くの人々が教えに対する憎悪を抱き、地獄に落ちてしまうことは、恐ろしく、醜いことのように見えます。絶対的な美、絶対的な慈悲、真の慈しみの持ち主であられるお方は、なぜ、この無限の醜さとすさまじい災難の存在を許されるのでしょうか?
多くの人々がこの質問に関して尋ねてきましたし、多くの人々の心に浮かぶ問題となっています。
答え: シャイターンの存在には、小さい弊害と並んで、普遍的な善や、人間性の完成といったよい面があります。
そう、種子から巨大な木まで、多くの段階が存在するように、人間の力にはさらに多様な段階が存在するのです。おそらくは、
微粒子から太陽にいたるほどの段階があります。これらの能力と可能性が引き出されるためには、行動や活動が必要となります。
行動や活動における進歩は、努力することで引き起こされます。 そして、努力は、シャイターンや、有害なものの存在によって発生します。
さもなければ、人間の段階は、天使のそれのように一定だったでしょう。 何千もの種に値するような、人間の多様な段階は存在しなかったでしょう。
一つの小さい弊害を避けるために、千の利益を放棄することは、神の英知や公正さに反することです。確かに、多くの人々がシャイターンによって道を誤ります。しかし、重要性と価値は、ほとんどがその質によるものであり、数によっていることはほとんど皆無なのです。1,010個の種子を持っている人がいたとして、土の中で種子が化学反応を受けて、その結果、十の木が育ちと千の種子が腐ってしまったとします。その人が木に育った十の種子から受け取る利益は、彼が千の腐った種子から受ける損失を、ゼロまで減少させます。
だから、我欲やシャイターンに対する奮闘によって、星のように人類に誇りを与え、輝かせる十人の人の存在によって、その集団にもたらされる効果、名誉、価値は、逸脱した人々が、教えに対して憎悪を抱くことによって人類に与える害を、ゼロにまで減少させ、視野から消し去るため、アッラーの慈悲と英知と公正さは、シャイターンの存在を許し、それが人々に害を与えることを許したのです。
信仰する人々よ。 このすさまじい敵に対するあなたのよろいかぶとは、クルアーンという作業台において作られる、アッラーへの畏怖の念です。
そして、あなたの盾は、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)のスンナです。
あなたの武器は、シャイターンに対してアッラーから庇護を求めること、許しを乞うこと、アッラーの保護のもとに救いを求めることなのです。


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